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2018年02月11日
秋間史跡保存会の清掃活動
今日は安中市秋間地域の史跡保存会の史跡周辺山刈や清掃を行った。
来る、17日の史跡見学会の為に、見学しやすい様にとの事による活動で、何と30人も集まった。
2班の別れて、1班は刈稲(かんね)の須恵器窯跡の竹藪整理。2班は、長岩地区の秋間石切り場跡の整理。
両地域とも午前中に終了した。
刈稲の須恵器窯跡は非常に良く形が残っており、露出しているだけでも2基ある。若干山を削った為に窯体が短くなっているが、状態は良い。是非これは文化財として保存しておくべきだが、市の方では指定もしてないのが現状である。
★ 見学希望の方は、2月17日(土)午前9時30分、秋間公民館に集合。
持参するものは、弁当、飲み物、天候によっては雨具、帽子、運動靴着用の事。
★見学コースはその他、赤穂四十七士像など、多数。
★乗り物は乗り合わせの上お願いします。
★申し込みは、13日までに秋間公民館、027-382-4969
2017年11月11日
紅葉狩り。南牧村から佐久臼田へ
久しぶりの休日を楽しむ!
先月12日の朝、突然の腹痛と下痢、嘔吐が凄まじく、救急車で病院に運ばれ、8日間の軟禁状態となってしまった。高熱も出て、腎臓機能が低下、もしや悪い菌かと疑われ血液培養を行って検査したが、常在菌きり出てこないと言う。回復したので退院させてほしいと頼んで、19日に退院。即日穴窯の窯詰めを始めて、速攻で頑張り何とか予定の10月22日の火入れに間に合わせた。29日に焚き上がって、今月5日の窯出しとなった次第です。窯焚き最中にも注文の作品作りをしての多忙状態で、疲労は入院後3キロの体重減に増して昼夜無しの窯焚きで、ピークに達していた。いや精神的な疲労かな?
前置きが長くなってしまいましたが、と云う訳で本日休日を取りました。
紅葉シーズンとあって、その誘惑に勝てず、山に向かいました。
7日は上野村から十石峠へと回ろうかと思って向かったが、上野村に着いたら、十石峠方面は土砂崩れで通行止め!仕方なく、南牧村に戻って、田口峠方面へ車を走らせた。
星尾までは数度行った事があるがその先は初めてだった!
南牧村は奥が深いのに驚いた。星尾の先に幾つもの集落が有るのには驚いた。日本で有数の限界自治体と言われるのもうなずける。
紅葉は峠付近はすでに色褪せていたが、楓は素晴らしい色付きを誇って居た。
途中集落の馬坂(まさか)の北面の山腹は綺麗に石積みされた段畑に驚く!作物は一段に一条の作付けが精一杯であろう!
空き家が多いいが、佇まいは立派な家が多い。増して蔵迄あるではないか!
その様な奥山でも養蚕が行われて居た様子が窺える。何処に桑を植えてあったのか不思議な地形だ。
さらに進むと景勝の渓谷や岩山が続く!道幅が狭いので車を止めたくても、場所が無い。
素晴らしい景勝地が目に入って車を止めようとしたら、熟年のカップルがレジャーシートを広げ昼食を摂って居た。
止む無く先に進む。
未だのぼり坂がかなり続くのに、「長野県に入りました!」、「ぐんまけんにはいりました」と数回繰り返しカーナビがアナウンス!?
完全に長野県に入ったら次第に空が広くなって、又集落が現れた。広川原と言う。そこでコンビニおにぎりに焼き鳥、あんまんを頬ばる。綺麗な景色を眺めながらのコンビニおにぎりも美味しいものだ!此処に、長野県指定の自然遺産「広川原洞穴群」がある。徒歩15分とあったので行って見る事にした。老体では15分は無理であった。チャートの断層面の出来た、言わば洞穴だ。途中、獣の大きな糞の塊があった!
驚くほどの洞穴では無かったが、足の鍛錬に役立ったか?
田口峠はまだ距離が有り、暫らく九十九折の坂道を上ると漸く眼下に南牧地区や奥多野山脈、秩父山脈が遙かに見えて、素晴らしい景色に心を洗われる。
そこを過ぎれば、なだらかな坂を下り臼田の街に出る。
臼田と言えば、五稜郭で有名な龍岡城址が有る。過去2度行っているが、今回も尋ねた。五稜郭は本丸跡で、今は小学校が建っている。
この城郭はしっかりとした保存がして在り、一見に値する。
楓の古木が見事な色合いで、これぞ紅葉と言うに相応しい!
駐車場には、珍しくスズメの群れが木々にとまっていた。
現在スズメがめっきりと減って、1980年代に比べて、5分の1の生息数だとの事。我が家でも余りにもスズメが居なくなったので、少々寂しい。さあ、明日から怒涛の11月だ!
2017年08月30日
信州へ「海津城」見学
今日は真夏日の予報だったので、最後の夏の休日になるから、信州方面へ。何時も予定を立てず、行き当たりばったりの行動で取り敢えず、高速道路に乗る。山の方へと思ったが、時間的に無理なので、松代城跡を見学する事にした。
兵どもの夢の後は石垣だけが残るのみで、再建した門だけが形を偲ばせているが、なぜか虚しい。
海津城ともいわれ、その昔戦国時代は、かの有名な武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な川中島の合戦の武田方の拠点であった。其のすぐ南の山が上杉謙信の陣であった妻女山がある。まさに妻女山からは城内丸見えの所である。
武田が山本勘助に命じて築城されたという。武田氏滅亡後、織田信長→上杉謙信→豊臣秀吉と支配が代わった後、江戸時代は6人目の城主が真田信行となった。以後明治維新まで真田氏の居城となる。
松代の町は小さいが、歴史文化の色濃く残っている土地柄で、戦時中は山の地下にトンネルを掘り大本営の地下基地にする予定であった。亦そこに天皇を移す予定であった。
松代城の前に小布施の有名な竹風堂の支店があったので、昼食に栗おこわの定食を食べた。甘党の私は栗ぜんざいが目に入り、食後に賞味。実に美味い!
松代と言えば松代焼も名物だ!窯元検索して向かったところは、松代から移転してしまった有名な作家の所。川中島を挟んだ対岸の遥か彼方の山の上!行けども行けどもたどり着かない!山の上に登ったかと思ったら今度は下りだした。「こんな山の中で活動しているのだから、きっと客が来すぎて困っての事だろう?」と思いながらたどり着いた。案の定来客を拒否するような構えの作家宅!入るの止めて帰路につく。
国道19号から18号線に入り、一般道でのんびり車を走らせることにした。上田に入ってすぐに、「小岩井紬工房」の看板が目に入り行きすぎてUターンして尋ねた。以前我が兄と一緒に我が陶房に尋ねて来てくれた、小岩井カリナさんの工房だ。
何時かは尋ねてみようと思って居たので、丁度よかった!
あいにくカリナさんは出張で不在でしたが、誠実そうな弟さん(当主)が応対してくれ、工房も見せてくれた。
全て手作業での仕事に、感銘した!私の仕事に共通して居た事もそこにある。代々続く老舗の工房で、門構えから歴史を感じた。
私はシックなネクタイを、妻は扇子を求めて来た。
暑い夏は信州が良い!
2016年06月09日
安中市簗瀬は史跡の宝庫
安中市の簗瀬地域は、史跡の宝庫である。
先ず、簗瀬二子塚古墳は、最近復元整備され公園となって居る。
出土品も多く、有力豪族の墓で有る事は間違いないようだ。
そのすぐ西に面した道路反対側に、簗瀬八幡平首塚が在る。
文献資料は無いが、嘗て戦国時代に(武田信玄との戦い)犠牲となった兵士の首が葬れているである。
その首塚の一帯は、簗瀬八幡平陣城跡である。是は武田信玄が安中氏を責める為に築いた小さな陣城だと言う。この様な陣城を多数築き、箕輪城の長野氏攻略を計ったようだ。
そこから300mほど碓氷川を下った同じく左岸の崖上に簗瀬城がある。やはり小さな城だが、詳細ははっきりしないが、安中氏が築城したのではないかとの事。現在は城山稲荷神社となって居る。
車で行かれる方は、二子塚古墳の案内休憩所の駐車場を使うとよい。









